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現代は多様性の時代といわれている、だが果たしてそうだろうか

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現代は多様性の時代といわれている。だが果たしてそうだろうか

確かに様々な価値観を自由に選択することが、許されてはいる。

しかしその結果、ひとりひとりが自分に都合の良い意見に閉じこもり、他人の異なった意見に耳をかさない

個々の胸の中は、結局、偏った考えに凝り固まって貧しくなっているんじゃないだろうか。

ドラマ・映画「鈴木先生」から学ぶ、鈴木式教育メソッド - Weekend Wednesday

ドラマ『鈴木先生』のセリフです。私の頭のなかに残り続けているので記事にします。

現代は多様性が認められているのか

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現代は多様性が認められている雰囲気があります。マジョリティ(多数派)だけが正義ではなく、マイノリティ(少数派)の意見も尊重される時代になってきたといえます。

そういう意味では現代は多様性が認められる時代といえるのかもしれません。

 

ただ本当に『認められている』のでしょうか。実は『自分と違う価値観・意見』を避けているだけなのではないでしょうか。

多様性を盾に『自分と異なる価値観』を避けている説

いろいろな価値観が、多様性という言葉のもとに認められるようになった結果、『自分と異なる価値観』に触れる機会が極端に少なくなってはいないでしょうか

「あなたは私と価値観が違うのね。じゃあもうあなたとは関わりません」みたいな状況が多くなってきている気がします。

 

価値観が異なる人と接すると、疲れたり、嫌な気持ちになったりするので、自己防衛という意味ではそれもアリなのかもしれません。

 

でも、『自分と異なる価値観』を避け続けると、思考の柔軟性が損なわれ、自分の価値観が磨かれる機会を失ってしまうんじゃないかと思うんです。個人の価値観は尊重されるべきだとは思うのですが、まったく変化しない価値観というのも恐ろしいですよね。

 

『多様性の時代』というと聞こえはいいですが、それぞれが自分の価値観を絶対的なものだと信じ、それを他者と共有しないのであれば、『単一性の時代』といってもいいような気がします。 

自分の価値観に多様性を

理想的な『多様性の時代』というのは、一人ひとりの価値観に多様性が生じることなんじゃないかと思います。

個々人が別の価値観をただ持っているだけではなく、その価値観を共有する姿勢こそが多様性につながるのではないかと考えます。

SNSなどを通じて、個人の意見を発信しやすい時代だからこそ、他者の意見をしっかり受け止め、考える。それができるようになって初めて『多様性の時代』といえるのではないでしょうか。