スマホの普及とともに「無料」のアプリやスタンプ、絵本(!?)などいろんな無料サービスがグワッと拡大している今日この頃ですが皆さまいかがお過ごしですか。
私はね、無料サービスよりもお金を払うサービスの方が好きなんだ。
もちろん私も日常的に無料サービスの恩恵を受けている身であると自覚していますが、それでも極力サービスに対してお金を払いたい。
なぜかというと、
お金を払った方が 私の 満足度が高い から
なんです。
お金を払って得たモノは満足感を生む
まずお金を払うメリットについて、超主観的なお話を。
例えば、
- 無料のコーヒー
- 無料のアプリ
- 無料のゲーム
- 無料の絵本
とかあるじゃないですか。
でも、
無料より有料のコーヒーの方がおいしい!
気がするんですよ。
これは味の話というわけじゃないんです。
仮にまったく同じ味の
- 0円のコーヒー
- 300円のコーヒー
を飲んだとして、300円のコーヒーを飲んだ方が絶対おいしい!(バカ舌)
この差って何なのかというと、満足度だと思うんですよね。
お金を払うことによって、
- 300円の価値があるモノを手に入れたという気持ち(所有欲)
- おいしく感じたい気持ち(自己暗示)
- 販売者へありがとうの気持ち(感謝)
が生まれます。
まったくもって感情的な話ではありますが、こういう感覚もモノを手に入れるときには発生してると思うんですよね。
何かを得るためには、それと同等の代価が必要になる
これを等価交換といいます。
錬金術師の世界では有名なお話ですね(知らない)。
現実的に何でも等価交換とはいかないですけど、一方的に受け取るだけ、与えるだけっていつか限界が来ると思うんですよ。
生産者はモノを生み出して、消費者はそのモノに対してお金を払う。
生産者は得られたお金を使って、より良いモノを生み出す。
この関係性ってすごい大切。循環させるっていうのかな?
消費者の立場からすると、無料のモノって非常にありがたいわけなんですが、消費者が無料のモノしか求めなくなってくると、生産者は資金という体力が無くなってきて、良いモノが作れなくなってくるんじゃないかと。
そして社会に属していると、何かしらのかたちで生産者の立場になってると思うんですよね。
大きい意味でいえば会社に勤めて「労働力を生み、給料をもらう」ってのも似たような関係性なんじゃないなー。
このバランスが崩れるとブラック企業が生まれる気がします。
お金の奴隷から解放されるにはお金が必要
だから今話題の「お金の奴隷解放宣言」には賛同の気持ちは示せません。
※西野さんのブログは読みました。何でも無料にするという主旨でないことは理解しています
その理由は、
お金の奴隷から解放される には お金が必要
だと思うからです。
確かにお金を持っている人だけがサービスを受けられる世の中も不健全な気がしますが、無料にするには誰かが無理をしないといけない。
で、その無理ができるのはお金を持ってる人です。
お金を持っていない人は無理ができないから、ふるい落とされていき、結局残るのは金持ちばかり・・・になってしまうんじゃないかと。
そうなっちゃうと生産者が減り、生まれるモノの多様性がどんどん減っていくのではないかと考えるんです。
そういう意味で「お金の奴隷から解放される」には痛みが伴い、痛みに耐えられない人たちがいることを考えないといけないと思います。
無料サービスはありなのか?
じゃあ無料サービスは有りなのか、無しなのかでいえば、
アリじゃないでしょうか!
最終的にこの結論は軸がブレブレな気がしますが、無料サービスって広告としては優秀だと思うんです。体験型の広告っていうのかな。ゲームの体験版的な。
消費者がモノを手にするキッカケづくりとしての無料は大きな意味があると考えます。
ただこれはあくまで生産者の判断であり、消費者が無料のモノばかりを求め、無料が当たり前な価値観で固定されてしまうと、その修正はなかなか難しいんじゃないかなと思うわけです。
まとめ
いろいろ書いてきましたが、結局は消費者の満足感なのかなと。
無料で満足できるモノだけでなく、有料だからこそ満足できるモノも増えていけばいいなと思っています。バランスが大事です。